あいあい傘

 

「困りましたね・・」

さっきまで快晴だったのが嘘のように、空はどんより灰色に染まっている。

通り雨にしては勢いが強く、傘なしで一歩でも外に出ればすぐに濡れ鼠になるのは明らかで、

日本ははぁっとため息をつく。

「止むのを待つか、覚悟を決めるか」

一向に晴れる気配が無い空を見上げ、どうするか考えていると後方から誰かの気配。

振り返れば目が合った。

「あ」と驚く顔。そんなにびっくりすることないのに、と日本は少し拗ねる。

「イギリスさん、こんにちは。奇遇ですね」

日本が律儀に挨拶をしたら、「お、おぅ。元気か?」とためらいがちに返ってきた。

「はい、イギリスさんも変わりないようで、安心しました」

 

告白してくれたのは、イギリスの方からだった。

『お、俺は別に、お前とならつき合ってやってもいいぜ』

帰り道を一緒に歩いていたある日、唐突に。

一瞬、何のことか分からなかった。

けれど忙しなく視線を泳がせて、少し落ち着きのない様子と。

彼の顔が赤いのは夕陽のせいでなく、感情のためだと気づいて。

・・驚きととまどいで、思考が固まった。

 

「あ、あの・・私は」

 

声が震えたのはどうしてだろう。

考えたことはなかったけれど、この胸に灯るのは決して『嫌』なものではなかった。

逆にそれは・・。

黙ってしまった日本にイギリスの顔は段々と不安で曇っていく。

でも。

小さな声で。

日本の返事が耳に届いた瞬間、イギリスはとても晴れやかな顔で笑った。

「よし!じゃあ今日から俺たちはこ、恋人だ」

高らかに宣言するイギリスに日本はくすっと吐息を零す。

無造作に差し出された手に日本はそっと自分の手を重ねた。

初めて手を繋いだ感想は、なんだかくすぐったかった覚えがある。

 

あれは、幻だったのでしょうか・・。

 

あの日以来、イギリスの態度はぎこちなく、逆に避けられているようで。

ぶつかった視線さえ逸らされて、日本は胸がぎゅうっと締め付けられる思いをしている。

つい、俯いてしまった日本にイギリスは意味有り気に目をやるが、何も言わずまた外に目を向けた。

ごくんと、唾を飲み込む音。

 

「傘、ないのかよ」

 

ざあっと降りつづける雨を映したまま、イギリスは聞く。

その手には一本の傘。見せるように日本の方に持ち替える。

「すいません。天気予報では晴れだったもので」

「しょうがねーな」

バンと思い切り開いたその傘は、少し大きめで、二人で入るにはちょうどいい。

「感謝しろよ、遠回りしてやるんだからな」

「イギリスさん・・」

言い方は少し雑。でもその言葉に含まれている彼なりの優しい響きに日本はどうしようもなく愛おしさを感じる。

傍に寄れば、ふわりと彼の息遣いや匂いを感じた。

彼に触れたかったけれど、日本にそこまでの勇気はなかった。

 

「雨が多いから、いつでも置いてあるんだ」

ラッキーだったな、と誇らしげにイギリスは鼻を鳴らしている。

「立ち往生していたところで、助かりました」

「あ、あぁ・・喜んでくれたのなら・・俺も」

距離間が掴めなくて時折肩がぶつかるけれど、イギリスは何も言わない。

ただ、その度に一歩あけて体を外に出すものだから、右肩の服の色が変わっている。

申し訳ない気持ちで、だけどこの近さが嬉しくて、日本は出かかった言葉を飲み込む。

 

家は近い。

ここから走ったらすぐに着くだろう。

でも、折角だから・・と日本は少し我が儘になってイギリスに我慢してもらうことにした。

 

しとしとしとしと。

 

雨が他を遮断して、この空間は二人きりだ。

イギリスさんと二人きり。

終わってしまうのがもったいない。

日本はイギリスが歩幅を合わせてくれるのをいいことにわざとゆっくり歩いてみる。

 

しとしとしとしと。

 

イギリスさんも同じことを考えてくれていたらいいと日本は自分たちを包む雨の音を聞いた。

彼の心が分からなくて、少し寂しい気持ちになっているから。

ずっとここにいたいと願う、想い。

雨が降り続いて、帰れなければいいという、想い。

少しでも、同じように好きだと感じてくれていたらいい。

 

初めて、日本は雨を、欲しいと焦がれた。

 

けれど、時間は残酷で。

「濡れてないか?」

「イギリスさんこそ」

「あぁ。これぐらい大丈夫だ」

玄関先まで見送ってくれたイギリスに感謝して、日本はぺこりと頭を下げた。

「・・・」

「・・・」

「・・・あの」

押し黙ってしまって、動かないイギリスに日本が声をかけた時。

ぐいっと。

再び傘の中に引っ張り込まれた日本の唇には柔らかい温もり。

至極近いイギリスの顔にびっくりしたのも束の間、とんとすぐに離されて、日本は「じゃあ、またな」と駆けていく背中を茫然と見つめていた。

触れると感触がまざまざと蘇って、顔が火照る。

自分がキスされたのだと、その時初めて日本は実感した。

「ずるいですよ、イギリスさん」

悩ませておいて、こんな捨てるように安心させていくなんて。

 

恥ずかしくて、恥ずかしくて、イギリスがただ照れていただけだと知るのはもう少し後だったけれど。

日本には自信を取り戻すには十分で。

雨の中、傘もろくにさせずに勢いよく駆けて行った彼を思って、優しい笑みを浮かべた。

 

 

後日。

傘立てには「イギリス」と名前の付いたカサが二つ。

日本が偶然それを見つけたことで、面白いくらいにイギリスが慌てるのはまた別の話。