日本の家にイギリスさんが泊まりに来ました。

 

「いらっしゃい」

予定通りの訪問者にガラリと日本は扉を開き、覗かせた顔に嬉しさを浮かばせた。

少しぎこちなく「お、おう」と手をあげて挨拶をしたイギリス。

どうぞと差し出された手に招きいれられて、イギリスは勝手知ったる日本の家に足を踏み入れた。

 

 

「イギリスさん、私の家に来ませんか?」

「は・・」

思いも寄らぬ彼からの誘いにイギリスは咄嗟の理解が出来なかった。

 

・・これは夢か?奥ゆかしい日本が俺を家に・・?

 

彼の頭が見せてはいけないピンク色の世界に染まったせいで、二人の間に沈黙が生じた。

それをイギリスが返答に詰まったと勘違いした日本は、心配そうにおずおずと声をかける。

「あ・・その、もう予定が入ってしまっていたでしょうか・・?」

「え?あ、いや、大丈夫だが・・」

「そうですか。良かった。あ、宿泊も大丈夫なので、気にせずに来て下さいね」

にこりと。

無邪気な日本の様子に一瞬でも邪な考えを持ったイギリスは、罪悪感にちくりと胸を痛めた。

多分・・日本に他意はないのだろう。

でも、「恋人」が自分を家に誘うと言うのはやはり期待してしまうもの。

日本が純粋に自分を招いているということは理解していても、イギリスは浮かれた気分を消すことは出来なかった。

 

 

「に、日本・・?」

「じっとしていて下さい」

用意された浴衣を着て、慣れた日本茶を啜れば、日本が言う「和の風情」を感じる。

さっきまではほんわかとした気分になっていたイギリスだったが・・

今や、それどころではなくなっていた。

言われるがまま、日本の正座の上に頭をおろしたものの、布越しに感じる温もりと柔らかさに、至る場所が熱くなりそうで。

 

・・たかが耳掃除。されど耳掃除。

 

真剣に覗き込む日本の吐息が耳にあたってこそばゆい。

「痛くないですか?」

「あぁ。気持ちいい。大丈夫だ」

裏返りそうな声をなんとか平常心で保たせながら、早鐘のような心臓をイギリスは抑える。

 

あぁ、拷問だ。これは・・何かの試練か?

 

イギリスは日本の話になんとか返事をしながら、とにかく無心であるように務めた。

 

そんなこんなで。

「はぁ・・」

頭にタオルを乗せ、湯船に浸かれば、自然と息が零れた。

なんとか、あの幸福で地獄のような時間を耐え、勧められるがまま…風呂を借りた。

「やっと、安らげる気分だ」

もくもくとあがる湯煙を見つめながら、パシャリとのぼせた顔を覚ましてみる。

 

今日は・・やたら日本が近いと感じるのは気のせいだろうか・・。

 

さっきの耳そうじはもちろん、疲れている体を解すと肩や腰を揉まれたり、おそらく自分に気をつかってのことだから嬉しいのは嬉しいのだが・・気が気でない。

折角の日本の誘い、無下にはしたくない。

今回は少し日本に合わせて暴走しがちな自分を押さえようと思っていたのに。

重い気持ちと一緒に口半分、コポリと湯船に沈めた時。

「イギリスさん、湯加減はいかがですか?」

「えっ!あぁ・・とてもいい気・・・」

声がした方を振り返ってイギリスは‘き’の口のまま固まった。

「背中を流そうと思いまして」

タオル一つ。黒い髪が湿って肌に張り付いている。熱気で上気させた体はほんのり赤く、

イギリスを火照らせるには充分の効果があった。


何かに耐えるように、鼻を押さえ、上向くイギリス。

 

・・・色気ありすぎだろ。

 

「あの・・・背中、流します」

にこりと。

笑いながら近づいてきた日本に慌ててイギリスは首まで全身を潜らせた。

湯が濁っていて良かったと心から思う。

一向にこちらを見ようとしないイギリスに拒絶を感じとったのか。

日本は足を止め、少し寂しげに両指を絡ませて、俯いた。
 

「やはり迷惑、だったのでしょうか」

「いや!そんなことは思っていない。ただ」

「ただ?」

「ち、違うぞ。俺は別に疚しいことなんて・・・!あ」

「・・・」

 

なんだかいたたまれない空気にふいとイギリスは目をそらした。

「その・・・思ってないことはなくて、だな。・・俺とお前は一応こ、恋人・・なんだし。いつも、そう言ってるだろ」

照れ隠しなのか、拗ねた調子のイギリスに日本は恐縮して。

「…すいません」

と、か細い声で告げた。

 

 

2人並んで湯船に浸かる。

お互い、目線を合わせられず・・かれこれ数分。

思い切って日本が口を開いた。

「イギリスさんに寛いでもらおうと思ったんです。最近、お疲れのようだと・・アメリカさんに聞いたものですから」

微弱な日本の動きが湯を静かに波立たせ、イギリスへと伝える。

「・・確かに仕事は立て込んでいたが・・別にお前に心配される程では」

「それでもお役に立ちたかったんです」

自然とあがった声のトーン。イギリスが驚いて体を向ければ、意志の強そうな黒目とばっちりぶつかった。

「イギリスさんのこと、私だって、好きなんです。こんなことしか出来ませんが、少しでも気持ち良く休めるお手伝いを私が出来たらと・・」

「日本・・」

以前。

本で読んだ、日本の大事な客へのおもてなし。

それを実行してくれたんだろう。ツンと鼻がするのは、湯気が目に染みたせいだ。

「すいません。出過ぎた真似を・・。日本男児たるもの。いつでも相手の立場にたち、先を読まないといけません。

やりすぎは禁物です。善処します」

泣き笑いのような微妙な表情を浮かべた日本がたまらなくて、思わずイギリスは日本に覆い被さった。

 

自分より細い体を抱きしめて、愛しさに声が震える。

「気持ちは・・伝わっている。だから・・その、気にするな」

イギリスの精一杯の慰めに「イギリスさん…」と日本は肩の力を抜いて両手を汗ばんだ背中に回した。

「ありがとうございます」

 

「俺はな、お前がいるだけで充分、癒やしになってるんだから」

 

ぶっきらぼうに早口に。

突然耳元を掠めた思いがけない告白に、日本の鼓動が一気に跳ね上がる。

そのまま、日本の正面に移動してきたイギリスの表情は真剣で。

想いを含んだその目に、流されてもいいと・・日本はそっと瞳を閉じた・・。

 

が。

 

その場に降り注いだのは、甘い恋人の時間でもなく。

勢いよく、後ろに倒れたイギリスが上げた盛大な水音と、水しぶき。

そして、日本の反響するほどの素晴らしい絶叫が静かな風呂場にこだました。

 

 

 

湯あたり。

そう判断した日本が用意してくれた扇風機とうちわに扇がれながら、イギリスは情けなさで気が滅入りそうになっていた。

それでも甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる日本の自分へ向けられた思いに、幸せな気持ちになる。

自分の頭を膝に乗せ、額の水で濡らしたタオルを取り替えている日本もなんだか満足そうに見えて、

イギリスは「まぁいいか」と、今だけは何も考えず、日本の温もりに甘えることにした。

 

 

それにさっき言ったことは嘘ではない。

彼といる時間が、本当に安らぎだと感じている。

 

「日本」

「はい、イギリスさん。・・何でしょうか?」

タオルの陰ではっきりとは見えないけれど、ふわりとした優しさに、彼が微笑んだのが分かって、

イギリスの口元にも自然と笑みが浮かぶ。

「ありがとな。誘ってくれて」

聞こえるか、聞こえないかの言葉はきっと日本に伝わったはずだ。

この気だるさが抜けたら、日本と一緒に乾杯しよう。

折角の日本と過ごす幸せな時間を無駄にはしたくない。

 

それに。

恋人として過ごしてはいけないなんて、誰も言ってない。

さっきし損ねたキスも諦めてはいないイギリスは、これからの時間に期待する。


これから訪れる「安らぎ」の時間に。