「にゃあ」
ガサガサと茂みが鳴った方を向けば、黒い尻尾が生えていた。一生懸命体を動かしているところから、どうやら引っかかっているらしい。
「・・・仕方のない猫ですね」
日本は茂みに手を突っ込んで、必死にまさぐる。どうやら足が絡まっているらしい。
小枝や葉で腕が傷つくのをもいとわず、日本は絡んだツタを引きちぎった。途端に触れていた毛が離れたので、日本は猫が逃げたのを知ってホッと一息ついた。
「にゃあ」
小さな傷だらけの腕を擦っていると、遠くから鳴き声が聞こえてきた。それをお礼に感じとった日本は「いいんですよ」と微笑んでみせた。
そんな猫な、君に夢中。
日本の様子が変だ。
イギリスは悩んでいた。最近、恋人が何か隠し事をしている気がしてならない。余所余所しいと言ったらいいのだろうか。
誘おうと思っても、日本を見かけない。会いたいと電話して問えば、病気なのだと言葉を濁す。
俺、もしかして避けられてるのか?!
つれない恋人を振り返り、そこに考えが至ったイギリスはショックのあまり、立ち尽くす。
思わず滲んだ涙をぐしっと片手で男前に拭うと「気にしていても仕方ない」とばかりにイギリスは愛しい人の住む場所に足を向けた。
「おーい、日本!いないのかー」
チャイムで出てこない日本にやきもきして、ドンドンと戸を叩いても返ってくるのは静寂のみ。
はぁ・・・と深いため息。帰ろうとしたイギリスは何気なしに戸を引っ張った。すると・・。
ガラガラガラ。
軋む音を立てて、開いた。
「えーと・・・」
まさか開くとは思っていなかったイギリスは少したじろいだが・・・。
あの慎重な日本が鍵を締め忘れるとは考えられないけれど、もし中に居なかったとしたら不用心だ。
居たら、居たで話をすればいいだけのこと。どちらにしろ、今帰ってしまうことが勿体ない気がした。
だから。
この機会がチャンスだと思えたイギリスは勇気を持って、入る。
そして、とりあえず日本を探すことにした。シン・・・と静まり返った場所はなんとなく居心地が悪い。
「・・ここにもいないか・・」
何度目かの部屋を覗いて、知らず識らず、ため息が漏れる。
本当にいないのか・・・。
不在を思って感じるのは、安堵なのか焦燥なのか。ごちゃ混ぜの感情がイギリスを襲った時。
ガタン。
音が鳴った。
「日本・・・?」
まだ見ていない先の部屋。確か、日本が寝室に使っていた部屋だったような。
もう一度。確かにそこから物音が聞こえて、イギリスは早足で急ぐ。
まさか。本当に病気なのでは・・・!
「日本!」
バンッと勢いよくあけた扉の向こうで、想い人は布団を肩にかぶって座っていた。
「イイイイ、イギリスさん?!どうしてここにっっ!?」
悲壮な声を上げた日本に対して、その様子を見てイギリスはポカンと口が塞がらない。
それもそのはず。
「に、日本。それは何だ・・?!」
ぴょこ。
イギリスが震える指で差したその先には。
ぴょこぴょこ。
黒い三角耳がにょっきりと生えていたのである。
そしてよく見てみればふりふりと左右に揺れる長い尻尾までも。
ね、猫…?!
「・・本物なのか・・?それは・・」
「・・・はい・・・」
「・・そ、そうか・・」
イギリスはあまりの衝撃に、言葉が出てこなかった。
「実は・・数日前、朝起きたら、突然こうなってたんです」
原因は不明。だが前日の朝、黒猫を助けたらしく、それ以外には思い当たる節がないと言う。
「だが、そうだとして、何故猫がそんなことを」
「わかりません。お礼のつもりなんでしょうか・・」
「案外、お前に惚れて・・そのためにこんなこと仕出かしたのかもな」
「まさか」
はは、と乾いた笑いを残して、また日本は項垂れた。考えたところで、原因など分かるわけもなく、途方にくれてしまう。
もし、このままずっと・・・なんてことになったら・・。
それを考えてしまうと不安で仕方ない。コスプレならいざ知らず、こんな姿・・気味が悪いと思う。
目の前にいる恋人がどう思っているのか、考えるのが日本は怖かった。
チラリとイギリスに視線を向ければ、腕をくんで何か難しい顔をしている。
やっぱり、ダメなのだろうか、と日本は涙が浮かんでくるのを、必死に我慢した。
そんな恋人の想いに微塵も気づかず。
イギリスはというと・・。
自分の想像の中の猫にまで嫉妬してしまい、苦虫を噛み潰していた。
それにさっきから。
ぴょこり、ぴょこり。
日本が何か言う度に、動く耳が気になって仕方ない。それになにより。涙目でいる日本が可愛くて・・。
俺にはこんな属性なかったはずなんだが。あぁ、頼みたい。でも不謹慎だよな。でも・・。
と、自分の中で芽生える願望とひたすら闘っていた。
そんなことを知らない日本は、黙って凛々しい眉を顰めているイギリスに段々と心配が募って。
つい、声をかけてしまう。
「あの・・イギリスさん」
「ん・・?な、なんだよ?」
ぴくっと声が少し裏返ったのはイギリスが心の声を悟られたと感じたからだろう。
しかし日本には、拒絶されたようにしか感じなくて。
「・・あの、すいませんでした」
「え?」
「いえ、あの・・私・・イギリスさんに事情も話さないで・・・訳が分からなかっただろうと思います。
せっかく連絡をくださったのに、自分のことばっかりで、イギリスさんのこと、全然考えられなくて。
最近、・・無神経な態度ばかりとっていて。気に・・なさっているでしょう?」
「う」
「それに、こんな無様な姿で・・本当にイギリスさんにはなんて言っていいのか・・」
「ぐ」
気になる…。
潤んだ瞳が、火照った頬が、なんだか扇情的で・・。
それに猫耳が拍車をかけているのか、なんだかいけないものを見ている気分になってくる。
ごくりと唾を飲み込んだ音がやけに大きく響いた気がした。
「イギリスさん・・。あの、やっぱりこんな私は、嫌・・でしょうか・・」
「・・日本」
重く沈んだ声に、ぎこちなく日本は顔をあげた。
と、同時にがしりと強い力で肩を捕まれる。
「イ、イギリスさん・・?!」
「日本。やっぱりダメだ」
「え?」
「頼みがある・・。聞いてくれるか・・?」
真剣な表情のイギリスに押されて、日本も神妙な顔で頷く。
何でしょうか。聞くのが怖いような・・。
日本は最後通告のような面持ちで、汗ばんだ手をぎゅっと握りしめた。
だが。
イギリスの口から出た言葉は、日本にとって思いも寄らないもので。
「え・・と、すいません・・。あの、もう一度言ってもらえますか・・?」
「だ、だから、一回でいいんだ。その・・鳴いてみてくれないか。ね、猫の・・ようにさ」
その瞬間、自分の心配が杞憂であることを日本は悟った。