ドイツが、怪我をした。
爆風に巻き込まれて体中を打ち、血を流し、そして右肩には火傷を負った。
しなくていい怪我だったのに。
逃げ遅れた俺をかばったせいで。
『役立たず』
『足手まとい』
何も言えないよ、ドイツ。
だって、本当にその通りだもの。
俺は何の為にここにいるの?
愛おしき、君が居るべき僕の場所
「こんなところにいたんですか」
川の傍。イタリアは足を抱える体制で座り込んでいた。
日本が声をかけたので、振り返って笑ったけれどその表情も声も覇気がない。
「何してたんですか?」
「何も」
何も、してないよとイタリアは答える。ただボーっと水の流れを見ていただけ。
俺には今何も出来ないから。
「ドイツさん、大丈夫ですよ」
「うん」
「笑ってたでしょう」
「ドイツ、名誉の負傷だって言ってたね」
「彼のことだから、君を守れたこと誇りに思ってます。だからイタリア君がそんな顔する必要ないと思いますよ」
日本は、「ね」と優しい顔で笑う。
イタリアも「そうかな」と一生懸命笑顔を作ったけど、ぎこちなく終わった。
無情にも水のせせらぎが沈黙を包む。
そのまま、蹲って震えるイタリアに日本は何も言えず、ただ隣に座ることしか出来なかった。
・・大切な人が苦しむ悲しさは痛いほどに知っている。
日本は器用でない自分に悔しさを覚えて、拳をそっと握り締めた。
それから数日。
ドイツの怪我は順調に回復に向かっていった。
あれ以来落ち込む様子もなく、イタリアは治療を終えたドイツの傍で世話をしている。
イタリアが騒ぎ、ドイツが怒る。
そんな、いつもの二人の様子にそっと見守っていた日本は心から安堵する。
何も変わっていないように見えた。
けれど、それは表面だけのこと。
「ドイツの怪我、あいつのせいだぜ」
はっと日本は声がした方を振り返った。けれど人混みの中、誰が言ったのか判別出来ない。
辺りを見渡す。
「あいつも腑抜けたもんだよ」
「足を引っ張る奴なんてさっさと見限ればいいのに」
「自業自得だな」
また。
聞こえるのを承知のうえ、あからさまな悪意が日本を不愉快な気分にさせる。
・・そんなことを言って何になるというのか。
ドイツは軍人として優秀だと、自分は思う。だからひがみや嫉妬の対象にもなるのだろう。
くだらない、中傷。それが自分の価値を下げる行為だと何故分からないのだろうか。
同調して広がる侮蔑や非難の声を止めようと、日本は口を開きかけた。だが。
そっと袖口を引っ張られる感覚がして、隣にいるイタリアに目を向ける。
「イタリア君」
「・・行こう、日本」
「でも」
「俺なら平気だよ。自分でも分かってるし、それにそんなの言われ慣れてるから」
「そんなこと」
「優しい人たちばっかじゃないよ。・・俺がドイツの傍にいることを認めてくれてる人たちばかりじゃない。俺がね、ドイツを堕落させるんだって。
笑っちゃうよね」
あは、と乾いた笑みを作ったイタリアは「でもね」と続ける。
「ドイツね、傍にいていいって言ってくれたから。こんな俺のこと・・好きだって言ってくれたから」
「イタリア君」
「だからね、俺、平気なんだよ。何言われてもへっちゃらなんだ」
明るく笑っているけれど、平気なわけがないと日本は思う。
何よりも傷つきやすい友人が、気にしていないわけがないと分かっている。
けれど。
「・・ドイツさんのところにでも行きますか」
健気に振舞うイタリアの努力を無駄にしたくなくて、日本は納得した振りをする。
だからせめて彼が落ち着ける場所に誘おうと、少し時間が早いけれど仕事を切り上げる提案をした。
イタリアは真面目な日本の意外なセリフに、一瞬不思議そうな顔をしたが、すぐに嬉しそうに思いっきり日本に抱きついた。
自分に起った突然の状況に、初心な日本はパニックになって慌てる。
「あ、あの・・困ります、イタリア君・・!」
「ヴぇー。俺、幸せだよ。日本が俺の友達で、俺の傍にいてくれて」
「何言ってるんですか。当然ですよ。ドイツさんも私も君と同じ思いなんですよ」
「・・うん」
少しためらって、イタリアはこっくりと頷いた。
背中に回された手に力がこもる。
「ありがと、日本」
そっと離された体。
どうしてなのか。ごく自然な行動で、イタリアはいつも通りの笑顔なのに。
すごく違和感を感じ、日本は急な心細さに襲われた。
「ドイツ、びっくりするかなぁ。普段威張ってるからさ、呆けたドイツって貴重だよね」
それこそ、楽しそうに。
思い切り前に駆けていくイタリアの背中を日本は寂しい思いで眺めていた。
「全く、お前は」
はぁっとドイツはベッドの端に顔を乗せているイタリアの頭をわしゃわしゃと掻きまわした。
髪の毛をくしゃくしゃにされて、イタリアは「やめて〜」と嫌がった。だけどその表情に嬉しさが滲んでいる。
病室に2人。日本は気をきかせてか、病院の前で「用事がある」と帰ってしまった。
「日本も共犯だよ〜。えへへ」
「そうだ。全く日本がついていながら・・」
「だって、ドイツにすぐ会いたかったんだもん」
ぴょんと跳ねてベッドに乗りあがったイタリアに、もっと落ち着いた行動をしろと叱りつける。
そんなドイツの態度に懲りもせず、ぽふんとドイツの腕に顔をうずめて、イタリアはそっと包帯で巻かれた左腕を見た。
「・・痛い・・?」
そっと手を伸ばして、触れる寸前で留まった。手が震える。その白さがあの情景を思い出す。
『・・無事か?イタリア・・』
気遣うように頬に触れられた手はひどく冷たかった。
呻き声と一緒に倒れこんできた重みは、ドイツの命の重さで。
生温い紅がじんわりと、触れあった箇所を染めていく。
『ドイツ?ドイツ?!』
呼びかけた声は空ぶって、無情にも消えていく。
どうすることも出来なかった。
泣いて、泣いて、泣いて。ただ君の名を狂ったように呼んでいた。
俺の存在が君の命を削っているのなら。
「もう平気だ」
ためらうイタリアの手を取ってドイツは包帯の上にそっと手を置かせる。
いたわるように自分の手を重ねて、こんなの怪我の内に入らんと嘯く。
「だいたい、これぐらいで入院など、大げさなんだ」
「ドイツはムキムキで凄い強いもん。俺、ドイツがいてくれなかったら死んでたよ」
「全くだ。お前は弱すぎる。もっと鍛えろ。命が幾つあっても足りんぞ」
「精進するであります!」
「・・本当に分かっているのか」
びしっと敬礼で応えるイタリアにドイツはやや呆れ顔で額を手で覆う。
分かってるよ、ドイツ。
ドイツは優しい。
「気にするな」とか「お前のせいじゃない」とか慰めの言葉は言わない。
そんなセリフは、余計に俺の心を痛めることをきっと分かっていて。
あえて、いつも以上にドイツは俺を怒る。頑張れ、と言う。
その厳しさが、ドイツらしくて、とてもいい。
「平気か?」
帰り際、何気なくかけられた声にイタリアは微笑んだ。
「うん。大丈夫」
俺の嘘に、そうか、と気づかないふりをしてくれたドイツにそっとかがんでキスをした。
こんな場所で、なんて怒鳴らずに俺が唇を離すまでドイツは動かずに受け入れてくれた。
目に映ったドイツの顔は、とてもとても悩んでいたけれど。
イタリアは、ばいばいと手を振りながら、ゆっくりと扉を閉めた。
がちゃんと静かな廊下に響き渡る音がやけに虚しく聞こえる。
ふぅっとイタリアは深呼吸する。
「大丈夫、うん。俺は大丈夫」
イタリアの不安も悲しみも、後悔も全て感づいていたのに。
ドイツは一つだけ気付けなかった。
いつも言う言葉。さようならの代わりの言葉。
それが欠けていたこと。
『また明日ね』
そうして、次の日ドイツは自分の過ちを知る。
イタリアが逃げ出したと、耳に届いたその時に。