知っていて知らないふりをしていたとしたら、最低だと思う。
様子がおかしいことなど一番に気が付いていた。
後回しにしたのは、懸命に笑顔を保とうとしていた彼を気遣ってのこと。
けれどその優しさがお前を遠ざけてしまったというのなら。
俺は一体お前に何をしてやれば良かったのだろうか。
愛おしき、君が居るべき僕の場所 2
イタリアがいなくなって数日がたった。
「臆病風に吹かれて逃げだした」と、根拠のない噂は瞬く間に広がった。
囂々非難の声。
やっぱりだとか、どうせだとかひそひそと囁かれるくだらない台詞を背中に受けて、ドイツは中庭を闊歩していた。
「ドイツさん」
聞き知った声を喧騒の中聞き分けて、ドイツは足を止めて向き直った。
「日本」
「・・退院した・・んですか」
開かれた胸元のシャツから覗く白さが正規に病院から出てきてはないことを悟らせる。
日本の訝しげな視線を避けて「あぁ」と一言だけ返事をしたドイツは自分たちが注目を浴びている事実に
そっと日本の手を引いた。
向かった先は奥まった中庭の陰。
「・・大丈夫なんですか?」
「そもそもたいした怪我ではない。医者にも了承は得た」
さっぱりとなんでもないことのように言うドイツだが、彼らしくない腕に添えた手がただの瘦せ我慢であろうことを物語っている。
それでも抜け出てきた訳が、どんな事情にも勝るのだろうと思ったが為に、それ以上日本はそのことに触れずに必要な情報に口を開いた。
「上は置いておくつもりみたいです。たかが弱小兵士。いなくなったところで何も変わらないとの判断でしょう」
「そうか」
「それに・・貴方を危険に晒した事実は、捨てるのには立派な理由でしょう」
重苦しい沈黙。
けれど、そのまま。
不快感に顰めた眉を直そうともせず、哀願に満ちた響きでぽつりと日本は沈黙だけを破る。
「・・イタリア君、どこにいるんでしょうか」
「知らん。あいつの考えていることはよくわからん」
「様子がおかしかったことに気付くべきでした。普段のイタリア君ならすぐに泣いたり、弱音を吐いたりしたはずでしたのに。
一番近くにいたのに、最悪です」
「あまり自分を責めるな。俺だって、あいつの調子に油断していた」
「お前のせいじゃないさ」
寂しい笑みを浮かべて、逆に慰められた日本は唇をかみしめる。
今回のことで一番傷ついているのはドイツなのに。
怪我も中傷も。イタリアが姿を消したと考えられる理由は多分ドイツのこと。
優しい言葉の一つも思い浮かばない。
いつだったか、イタリアと話した時も自分は何も言えなかった。
泣いて蹲るイタリア。
思えば、あの時から彼は考えていたのかもしれない。
「ったくあの馬鹿が!!」
ビリっと空気が震えるほどの怒鳴り声に日本は俯きかけていた顔をあげる。
「肝心なことはきちんと考えないくせに、くだらないことばかりに頭を働かせて。全くどうしようもない阿呆だ」
開いた片手にぶつけた拳は気持ちいい程に音を響かせた。そのまま握りしめた指にかかっている強い力がドイツの憤りを表わしていた。
本当に馬鹿ですよ、イタリア君。
こんなに君を望んでいる人がいるのに。
傍にいることが幸せだと言うのなら、どうして「これから先」も望まないのか。
あの言葉が「さよなら」だったというのなら・・。
「許せません」
「は?」
低く呟いたその声と同時に日本は睨むようにドイツを見、そして。
「怒らないと気がすまない。連れ戻してでもはっきりと分からせてあげないと」
「日本」
「・・君が思っているほど、薄っぺらい友情じゃないってこと」
その気迫に、神妙な顔でドイツはこくりと頷いた。
それだけで十分。
その日本の想いが、ドイツの背中を押し、イタリアの帰る道を開く。
「私にはこれぐらいしか出来ませんから」
だけどな、日本。
お前は知らないだろう。「それだけ」のことがどんなに貴重なのか。
さくさくと砂を踏みしめる音がやけに耳に響く。
「・・暑い」
それが太陽の熱視線を増幅させるというのに、言葉にせずにはいられないほどで。
今にも折れてしまいそうな心を叱咤して歩き続けてどれくらい経つのか。
考えたくもない、とドイツは先も見えない前を見据える。
『あいつの居場所が知りたい』
唯一足取りを知っていそうな人物に開口一番にそう言ったら、殺気で人が殺せるんじゃないかと思うほどの凄い形相で睨まれた。
罵詈雑言は覚悟の上。
簡単に教えてもらえるとは思ってはいない。
子供にはあまり聞かせたくない台詞の数々を浴びせた後、ロマーノは息荒く、悔しそうに一枚の紙を投げつけた。
『だから俺は反対だったんだ、ちくしょう』
すっかり準備されていたらしいそれを広げて、ドイツは弟思いの兄の姿を見た。
『・・てめえを殴るのはあいつが帰ってくるまで保留だ。ふん。せいぜい自分の不甲斐無さを呪え』
バタンと空を切る勢いで閉まったドアに、ドイツは誰にも聞こえない声で礼を言った。
そして今現在。
地図の場所を歩いているわけだが、いまだに探し人の姿は見つからず。
眼下に広がるのは、この人の存在の無い島に主張されている森林や青い海。そして砂浜。
隠れ家に選んだ先がまるで楽園と評してもおかしくもない南国の島であることが、いかにもイタリアらしく。
ドイツは呆れるのを通り越して笑いがこみ上げてくるのを感じていた。
「・・全くあいつは」
どうしようもない、と散々世話を焼かせる相手に文句を並べつつ、ドイツはサクサク音を鳴らす。
纏わりつく砂にも関わらず、自分の足取りは軽い。
逃げ場は無い。
どこにどう逃げようと必ず掴まえる。
それは自分が今果たさないといけない仕事。
伝えないとならない言葉が、ある。
勘違いは正さないといけない。
眩しく光る先に水辺で一人戯れる姿を映して、ドイツは変わらぬ歩調で近づいていった。
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