君の姿を見るのが嫌で逃げ出した。

 

君の声を聞くのが辛くて逃げた。

 

『平気だから』

 

耳を塞いで、嘘をついた。

まだ消えないんだ。爆音も、冷えた体も、掠れた声も。

 

教えてよ、ドイツ。

 

俺が君を傷つけるのなら、俺はどうして生きればいいの?

 

 

愛おしき、君が居るべき僕の場所 3

 

 

燦々と照る太陽。透明な青に足を浸せば、火照った体が冷やされて気持ちがいい。

自分があそこを去ってから、どれくらい経っただろうか。

何回か夜になったことは覚えているが、数を問われると怪しくなってくる。

 

時間の感覚などずいぶん前に失った。

寝て、起きて、ご飯を食べて、ここでいつも海を眺めて、日が暮れる。

その繰り返し。ただ、繰り返す。

 

「今頃、ドイツどうしてるかなぁ」

ふとドイツの顔を思い出そうとすれば、約八割が怒り顔や怒鳴り声で埋め尽くされて、へぁーとイタリアは肩を落とした。

せめてもっと良い顔を思い浮かべたい。

「・・ダメだぁ」

考えても考えても、頭に浮かぶのは同じ顔。諦めて、イタリアは屈みこむ。そのまま手で水をすくい、ぱしゃりと空に撒いてみた。

キラキラと光をはじいて、広がるそれはとても奇麗なのに、イタリアには全然感情が湧いてこない。

青も、白も、赤も、イタリアの瞳は何も映そうとしない。ただぼんやりと景色を映すだけ。

自分はこんなだっただろうか、とイタリアは思う。

これ程にダメな人間だっただろうか。あの人がいなければ何も出来ない。

「これじゃあ、呆れられても仕方ないよね」

 

『堕落』

 

だから、離れた。

だから、逃げた。

 

「言い訳にもならないね」

一回考えてしまえば、止まらない。

どうしてるかな、怪我は治ってるよね、怒ってる?、心配してくれているかな、危険な目にあったりなんてしてないよね・・・。

寝ても覚めても、消えない。

ぽたりと、水滴が落ちて波紋を作った。それは段々増えて、ぼやけた視界が馬鹿みたいに縋るイタリアの姿を映す。

「逢いたいよぅ、ドイツ」

いつしか、零れた悲鳴は、空虚な世界に吸い込まれた。

選んだのは自分。でも自分はどうしようもない程に、弱い。もう迷っている。ずるい道を選ぼうとしている。

「ドイツ、ドイツ、ドイツ。大好きだよ、ドイツ。好き、好きなんだ。好きだよぅ」

がむしゃらに名前を呼べば、幻でも会いに来てくれるような気がして、ひたすらにイタリアは泣きじゃくる。

我が儘だと自負している。でも逢いたくて、どうしようもない。

「ドイツは格好良い。ドイツは強い。ドイツは偉い。ドイツは・・」

ぐすりと鼻をすすって、イタリアはすくっと立つ。止まらない涙を拭きもせず、海の向こうの遠くを想う。

「だから・・俺は迷惑。弱くて卑怯なイタリアは、ドイツの隣にいちゃいけないんだって」

 

じゃり。

 

砂を踏みしめる音。聞こえるはずのないそれが背後から聞こえて、イタリアは固まった。

違うと心の中で念じる。違っていて欲しいとイタリアは願う。

だけど、相反する気持ちが、そうであってほしいなんて馬鹿な妄想をする。

怖くて後ろを振り返れないイタリアは、逃げることも叶わない。

 

「大馬鹿者」

 

唸るような低い声が、耳に届いた。

ずっと聞きたかった、愛しい声。

 

「ドイツ」

反射で首を動かせば苦虫を潰したような顔で、ドイツが立っていた。

久しぶりに見た、願った姿に、イタリアの瞳からまた涙がぽろりと零れる。

思わず手繰り寄せようと伸ばした手。思い留まって、自分を叱咤したイタリアはドイツから離れようと後ずさった。

「こら、待て・・!」

そして水が跳ねるのも構わず、イタリアは逃げた。

後方からイタリアを引き留める怒鳴った声が絶えず聞こえる。耳を塞ぐ。とにかく逃げたかった。

 

どうしよう、どうしよう、どうしよう・・!

決めたのに、離れようって。決めた・・でも。

 

「探しにきてくれたの・・?」

 

そこにいると知っただけで、気持ちは揺らぐ。

だから、どうしよう。どうしたら、いいの?

 

ざっ、ざっ、ざっ。

かぶる砂音が段々縮んで、大きくなって、そして、・・止まった。

荒い息遣いが、頭上から聞こえるのと同じ感覚でぴたりと押しつけられた胸が上下に揺れる。

しっかりと取り囲まれた腕は逃がさないとばかりに、強い力を孕んでいる。

「全く、お前のせいで、砂まみれじゃないか」

優しさを含んだ色が、やけに胸に痛くて泣けてきた。

嗚咽を噛み殺すイタリアはもう何が何だか分からなくて、額を押し付けたままぎゅうっと服を掴んだ両手に力を込めた。

そんなイタリアの様子にドイツはほっと体の力を抜く。

逃げ出された時は、本当に胸が締まる思いだった。

 

だが、捕まえた。

 

逃げるのも忘れて、すっぽりと自分の体に納まっているイタリアにドイツは満足する。

そして、拒否を許さない厳しさで、ドイツはゆっくり言葉を投げかけた。

「・・どうして姿を消した?どうして、いなくなったりしたんだ。俺の怪我が原因か?責めたのか?自分を」

間を置いて、イタリアは首を横に振った。

「ならば、何故だ。怖かったのか?お前は戦いが嫌いだ。それは知っている。あそこにいれば避けられない。だから」

「違うよ」

「俺がドイツの横にいたらいけないからだよ」

 

「何故?」

無言で俯いたままのイタリアにドイツは問い続ける。

「答えになっていない。イタリア」

 

咎めるような口調になっているのは、それだけドイツが必死だからだろう。

本当は今こんな場所に居ること自体、駄目な立場の人だってことぐらいイタリアだって分かってる。

 

・・結局どこにいたって俺は一緒なんだね・・。

 

憐みの視線。

すべてはドイツに向けられたもの。

 

「俺といると、ドイツが馬鹿になっちゃうから」

「は」

「俺が馬鹿にされるのは構わないんだ。俺は気にしない。でもね、ドイツが俺のせいでそう思われるのは嫌だから」

「お前」

「ドイツが貶められるのに、耐えられないよ」

 

ひくりと再び体を震わせたイタリア。込み上げてきたモノに思わず、ドイツはその柔らかな体を引き寄せる。

 

「今更だ」

 

「お前が俺に迷惑かけているのは今更のことだろう」

「ヴぇ。ひどいよ、ドイツ」

「本当のことだ。どうしてそれで今更俺から離れようと思うんだ。まったくお前は真面目に考えていると思えば余計なことしか思いつかない」

「ヴぇ・・」

「言わせたい奴には言わせておけ。だいたいそんな軽口を叩くバカ共に俺が負けるとは思えん。弱い犬ほど吠えるものだ。それに、だ。それを真に受けて逃げだす方が、よっぽど認めていることにな

るだろう。こういう時こそ立ち向かうべきだ。それが軍人というものだ」

「ヴぇ・・」

しゅんと可哀そうな程イタリアは項垂れた。

完全に落ち込んでしまったイタリアにふっと口元を上げたドイツはさらさらと揺れる亜麻色の髪を撫でた。

そうして、しばらくした後、ドイツは至極真面目な顔に切り替える。その眉にはわずかに皺が寄っていた。

「ドイツ・・?」

 

「お前を俺が守るのは、自分が情けないからだと思っているだろう」

 

低く呟いた台詞に「違うの?」とイタリアはドイツに顔を向ける。いや、見ようとしたが、ドイツが抱きしめる腕に力を入れたものだから、封じられてしまった。

「俺がお前を守るのは」

そこでワンテンポ。区切りを置いたドイツはまるで大きな告白をしようと言う風に、すぅっと息を吸いこむ。


 

「お前の居場所が、俺の傍であって欲しいからだ」


 

吐かれた言葉が自分に都合の良いようにしか聞こえてこなかったイタリアは「・・え?」と間抜けな返事をしてしまった。

「つまり、そういうことだ」

ドイツはそんなイタリアの様子を気にも留めず、話は終わりだと完結させてしまった。

置いてけぼりをくらった子供のようにぽかんとしたイタリアに「帰るぞ」とたった一言告げて立ち上がる。

「ま、待ってよ、ドイツ」

慌てて追いかけたイタリアは、これ以上距離があかないようにと、ドイツの服の裾を引っ張った。

 

「ドイツ、それって・・」

 

こつんと背中に額をぶつけて、イタリアは自分が帰れるであろう言葉をねだる。

「俺は、ドイツに守られてて、いいの・・?」

じっと待つ。まだ戻れない。まだ、イタリアにはその要素が足りなく思えている。

ドイツの言葉も気持ちもわかる。結局、自分が臆病ものだっただけのこと。

・・俺のために、彼が餌食になるのがただ怖かっただけの、簡単なこと。

「俺」が原因で「傷付く」ことが、受け止めきれていないだけ。

だからこそ、帰れない。その気持ちが払拭されていないから。

 

だけど、ドイツ。

言って。

それだけで、俺は笑っていられる。

我儘で、勝手だけど。許してほしい。

だって、ドイツ。ドイツも俺を必要としてくれているんでしょう・・?

 

「今更だ」

 

「お前が先に言ったんだ。俺と共にいると。だから、もう今更、いなくなるのは許さない」

有無を言わさない口調。

「・・俺から離れてどうする気だ。誰にお前を守らせるというんだ。お前みたいな世話のかかる奴、俺以外に面倒を見る特異な男がそうそう居て堪るか」

ドイツは背中を向けたままだ。

「お前を誰にも譲る気はない。俺の居場所もお前の居場所もお互いであればいい」

だけど、訴えてくる愛情の大きさに、嬉しくて、嬉しくて、ぎゅっとイタリアは背中から抱きついた。

「・・ということだ」

こほんと咳払いをして、何故か付け足したドイツらしさに、イタリアはつい吹き出してしまった。

 

 

「帰ったら日本にまず謝っておくように。かなり心配していた。珍しく怒っていたぞ」

「ヴぇ。帰りたくなくなること、言わないで〜」

「あと、お前の兄貴だ。まったく、お前のせいで俺は殴られるはめになりそうだ」

「え〜。ごめん、ドイツ。兄ちゃんにもちゃんと謝っておくよ。はぁ・・。しばらくドイツの胃の痛みが分かる生活になりそうだよ〜」

「自業自得だ。これだけ望まれていながら逃げた罰だ。怒られるだけ、幸せだと俺は思うが」

 

 

 

もう平気。もう大丈夫。

この繋がれた手を自分からはもう離したりはしない。

 

だってもう分かったから。

きっとこの先、痛い思いをすることはあっても、今日のドイツを思い出す。

そうしたら、きっと俺は踏みとどまれる。

 

俺がここに居るのは、君がそうであれと願ってくれるから。

君の腕で眠り続けるのは、俺がそう望んでいるから。

 

君の居場所が、俺の居場所

 

 


                                                                        2へ